うすのろと阿房な話

個人化された日常にあること 気になったことを。 白南風(しらはえ)とは梅雨が明ける6月末ごろから吹く、爽やかな空気を運ぶ南風のことを言います。

日本は厳格な政教分離の国ではないと考察している。この考えに間違いはあるんだろうか。

どうしても腑に落ちない。信仰の自由があるにも関わらず、政教分離の原則が 確固としたルールの中で謳われているにも関わらず、

 

君が代」の斉唱を義務化する向きがある。君が代の成立年代は 立憲君主制をとっていた時期だ。今は憲法上、天皇は国の象徴(シンボル)だ。国家神道を崇拝しておらず、天皇家への信仰がない他宗教の信徒が国籍を有するだけで 天皇家の永劫の存続を願う歌を”強制的に”歌わされる。

 

自分自身の考えの基本ははノンポリ。で、好きな人は歌えばいいじゃん、信仰の自由だよそれと思う。国を好きなのは悪くないよ全然。寧ろ良いことも沢山あるよ。

 

 自分自身、天皇家が存在する事への悪感情はないし、象徴として(模範的)な大きな責任ある立派な行動をしているとも思う。国家神道を信じ、それで幸せになる人がいれば、それは誰も悪いこととは言えないとも思う。

 

とは思うが、ある特定の宗派への忠誠をおカミに強制されると話は違うよね。国への愛?地理的な共同体への帰属意識はある(他の国の構成員ではない程度のものだが)が、愛を強制する段階って経験的にかなりヤバイ。建前だけ好きになれって言われても、ちゃんちゃら可笑しいよね。そういう人は裏で肖像画に小便引っ掛けてるよ。そういうもんだよ。

 

イスラム教に悪い感情は皆無だけど、イスラム教の教義を厳格に守らねばならない国の国民になりたいとは思わない。神道、仏教、耶蘇教、ユダヤ教、別にどんな宗教だって同様。日本においては、大きな政治体においての施政の道具の側面とは少し距離をおいた、暮らしの中から出生した土俗の素朴な信仰の方がまだ馴染みやすそう。

 

そういえば、隣国を鬼のように揶揄してたじゃん。そういう意味でも強制したら風刺とか野次る正統性なんかまるでなくなる。

 

国のシステムへの恩恵は受けているし、課題はあっても総体として他の国と比べて悪いなんて言う理由これっぽっちもない。文化や歴史の中にも誇れるものも山ほどある。

が、それを好きじゃない人が強制されてみなさいよ。下手したら心の病気になるよ。

 

そういう、非常に政治的な問題であるのに、統合の道具のように宗教(天皇を中心とした神道崇拝)を利用する。

 

権力中枢はまた宗教の問題を統率の道具にするのか、戦争責任の問題もあやふやで済ます。というか、そもそも天皇は国外に攻め入って当該国の住民に苦難を強いる、侵略戦争など全く求めていなかったという話まで出てくる(事実かどうか検証は必要そうだが、公的な検証などさせないだろうが)なんで国家主体で戦争の開始という、最も責任ある国権の発動に関して自分の意思に反した決断を命じたのか。素朴に疑問。

 

 それがもし事実なら、滅茶苦茶問題あるだろ。寧ろ、もし敗戦の段階で天皇に責任を負わせたら、戦時は都合のいいように神勅として国民統合に利用しておいて、敗戦の段になったら、スケープゴートにした。ただの道具として利用しました。なんて後世に語り継がれる構図になってた可能性すらあるかもと邪推すると、怒りすら芽生えて来る。これが邪推であれば専ら幸せだね。

 

歴史の中でも 天皇という権威を時の権力者がいいように利用してきた経緯はいくらでもある。だから特に国歌を万が一強制する必要がある状況が生じたとしたら、宗教色をなくしたものでないと信仰の自由、政教分離を支持している憲法との齟齬が生じる。

 

現代版の踏み絵?他人の信仰の自由を尊重しないのに、国家への愛を強いる?

もし日本が好きだとしても、その感情をお上(権力をもち物理的強制力をもつ存在)に強要された段階で逆に大嫌いになる人、山ほどいる。絶対に。

 

なんだろうね、無知だからか施政者に対する懐疑の余りか。それは置いといても、何がしかに対する信仰を強制・強要されることに対する感情的な持論だから、国のあり方とか権力基盤とか、知識云々や理論とは全く関係ないとは思うけど。

 

いや、単に今後、ギスギスした危うい方向に進まなけりゃいいなと思ってるだけなんだよ。何かを信じるって行為は結構、パワフルだから。心の底から喜んで爆弾しょって相手を殺す為に自爆する事すら志願するのが可能な位。