うすのろと阿房な話

個人化された日常にあること 気になったことを。 白南風(しらはえ)とは梅雨が明ける6月末ごろから吹く、爽やかな空気を運ぶ南風のことを言います。

日本代表の立ち位置は どこにあるのか? 自論極論。

W杯も全グループ2試合が終わり、決勝トーナメント進出チームがポツポツ決まりつつある。ここまで強豪国が早々と、敗退し、番狂わせがあり、グループリーグではもったいないと思えるような好ゲームもあり。

 

それらの状況を見ていると気候条件、南米周辺国には地域的アドバンテージがあり暑さに強いチームにもアドバンテージは確実にみられる。それにしても、世界のTOPクラスといわれる強豪国とその一つ下の中堅国の戦力差がかなり狭まってきているように思える。

 

ヨーロッパと南米の2大勢力と周辺諸国、といっても以前からのファイナリストに最近優勝を経験したフランスとスペインを加えた常連国数か国とそれ以外の構図ではあるが。

 

1990年からアフリカ勢の台頭があり、アメリカ、メキシコなど北中米でもコンディションやチームの風向きによってはそれら常連国と四つで組んでも堂々渡り合えている。そしてそれらのチームが勝利したとしても、サプライズと冠を付けることが必要ないくらい実力がついてきている。

 

チーム戦術面、個人的な力でも、ボスマン判決以来 ヨーロッパの主要リーグで多くの外国人が凌ぎを削る中にアフリカ、北中米だけでなく日本はもとより、アジア圏の選手も多く在籍するようになっている。中小クラブや育成主体のクラブは除かれるにしても。ELリーグやチャンピオンズリーグに進出するようなチームがある地域ローカル一色で戦うチームが果たしてどれだけあるのだろうか。

 

その点においても、高度な戦術への順応、色々な人種や気質、スタイルを持ったプレーヤーとの対戦によって個々の局面においての適応能力、対応能力に差が出にくくなっている。

 

世界の5指に入るTOPプレイヤーとて、研究され、戦術的に抑える対策が練られ、一人で相手のチーム戦術を0にするような場面は、1994年アメリカ大会から比べても少なくなっている。

 

むしろチーム戦術の中でそういったタレントを持った選手の個々のスキルをどう活かすか、そもそも戦術をタレントに合わせるだけの価値あるタレントがどれ程の数がいるか、そしてそれらをどう効率的に補完しあうことができるかが、勝者と敗者を分けているといっていいように思う。

 

何人かの選手間の磨かれたコンビネーションや即興に近い阿吽のプレーによって打開するようなプレーも出にくくなっている。それは代表の試合数の問題や、クラブチームなどと比較して戦術的深化をさせるような時間があらゆる代表チームの階層において大会を経る毎に少なくなっているからだ。

 

特にチャンピオンズリーグ準決・決勝に残ったチームの選手のコンディション面において調整が及んでいないように見える。特にスペイン、ポルトガルの低調ぶりがそれを表しているのではないだろうか。1年数十試合の緊張感のある戦いを5月初めまで続け、疲労困憊の状態で新たな戦い、特にグループリーグで突破するのが当然の試合を勝ちぬけることが如何に難しいか。選手自体はフィールドに立った以上それを言い訳にはできない辛い立場とはいえ、大きなディスアドバンテージの元で戦っていることを見逃してはならない。

 

世界の多くの人が見たいと思っているTOP選手のコンディションMAXのプレーは、年々難しくなっているのかもしれない。

 

 翻って日本代表が11敗勝ち点1のこの位置にあることを、不満に思ったり、期待外れだと非難する向きもあるが、スペイン、イングランドが敗退が決まりポルトガル、イタリアでさえ、最終戦の結果如何ではグループリーグ敗退が決まる中、日本代表のサポーターとしての期待感は以前と比べて遥かに強くなって申し分のないタレントがいるにせよ、グループリーグの突破を文字通りのノルマ(最低限の目標)として(~~しなければならない)スタンスで見るにはまだまだ早い。10年じゃ埋まらないかもしれないと個人的には思う。それを置いても、W杯のフィールドに立ったことがないアジアの弱小国の日本が、プロ化から約20年という脅威の速さで、決勝トーナメント進出を語れるレベルまで進歩してきたことは間違いない。

 

話を戻すが、~~しなければならない プレッシャーの中でPLAYするのは王者であり強者であり、TOPの座を守るものであるからだ。

 

天皇杯を見ても、Jリーガーが大学生に負けたり、J2のチームがJ1に勝ったりするのは、TOPのチームは勝利することが当たり前というプレッシャーの中プレーをしなければならなく、負けは許されない立場にいて更には1発勝負だからだ。

 

チャレンジャーである学生やJ2.3のチームは負けて元々、勝てば金星という メンタル的にはほぼ重荷になるものは何もなく、思いおきなく相手の胸を借りて、自分たちのプレーに集中すればいい。そこに迷いは存在しない。

 

日本代表は多くの選手がヨーロッパの主要リーグに渡りレギュラーを獲得する選手があまたいる今でさえも、強豪国相手に善戦し、良いサッカーを見せそれに海外メディアやサポーター驚くことはあっても、ああ日本なら当然だとして見られる向きはほとんどない。それが如実に示している。やはり世界的な評価も、実力からいっても日本代表は圧倒的に途上国、つまりチャレンジャーの位置にある。

 

むしろ、ある選手が言ったように世界を驚かすという意志を忘れずにプレーすることが良いプレーを生み、無用なプレッシャーから解放され、良い結果を得る可能性を広げるのは間違いない。

 

今回天皇杯の例と違うのはすべてのチームがグループリーグの対戦相手に対してある程度のスカウティングをしているということ。当然、強豪国は相手の良さを抑えるという戦術に重きを置く比率は低くなるものの。

 

日本の強みはどこでそれを抑えれば無力化できる策を練ることが可能ということだ。今まで日本が相手の良さを抑えるより、自分の強みを全面に押し出そうとし成功した大会はあっただろうか。個人的には日韓大会以外には思い出せない。しかもホームでPLAYするのとAWAYPLAYするのには、日程などのコンディション面だけでなく特にメンタル面で大きなアドバンテージがあるのは言うまでもない。

 

それゆえにAWAY(≒というより第三国といった方がいいが)である南アで、守備的とはいえ、決勝トーナメントへ進出したことの価値は大きい。

  

そもそも、世界のサッカー戦術が浸透し、均一化する中 ポゼッション VS ディフェンシブ といったわかり易い構図で語られるような戦術は少なくなってきている。もちろん、圧倒的強者とチャレンジャーの対戦の場合などにおいてはゼロなわけではないが。

 

ほとんどのチームが一定レベルの運動量を基盤にして、如何にしてその運動量を効率的に攻撃から守備の流れに結びつけるか、守備から攻撃にシフトチェンジできるかに 収束しているように思える。

 

スキルや総合力に上回っているといえど、運動量が明らかに劣っているチームが格上、各下問わず他のチームを圧倒する場面はかなり少なくなってきている。

 

ほとんどの攻撃的プレーヤーが守備の義務を負い(TOPプレイヤーの一部でさえ)、チームの流動性や運動量を一定レベルで維持するような流れになってきている。それがサッカーとして魅力的な姿かどうかは別にして、大きな潮流としてそのようなものがある。

 

そして強者が相手の強みを封殺しにかかる時の強さがどのようなものであるのかを再認してもらいたい。昨年のコンフェデ杯 ブラジル VS 日本の試合を思い出してもらいたい。また日本が強豪国と善戦し、勝利したのが一体どのような展開、シチュエーション、どのようなメンタル的要素が絡んでいたのか再考した上で、見るとより違った見方でW杯を観戦できるはずだ。

 

勝って当たり前、グループリーグ突破しないと失敗だと断定してしまえる世間一般の期待ほどには、まだ日本はそこまで強くなってはいない。期待させるタレントはいるがチームとしての実績は多くはない。それを積み上げるのはこれからだからだ。

 

次節コロンビア戦は、相手側が突破が決まっているとはいえ、気候条件としてはほぼAWAY、スタジアムのサポーターを見てもほぼAWAYということが推測される。しかしそういったAWAYの環境でこそ、チャレンジャーの意気を十全に発揮して、いくつかのUPSET(≒驚き)を起こしてきた。そしてそのUPSETの価値もAWAYの状況でこそより高まるはずである。